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名古屋地方裁判所 平成10年(ワ)3804号 判決

原告

松本健

松本久美子

被告

株式会社日本旅行

右代表者代表取締役

荘司晄夫

右訴訟代理人弁護士

水口敞

中村弘

中村伸子

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告らに対し、それぞれ一七八万七〇〇〇円及びこれに対する平成一一年二月一七日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、原告らが、被告が募集したワールドカップサッカーフランス大会の日本対アルゼンチン戦の観戦旅行に応募して旅行契約を締結したところ、被告において右試合の入場券の入手ができなかったため試合観戦ができず、旅行目的を達することができなかったとして、被告に対し、債務不履行による損害賠償を求めた事案である。

一  当事者間に争いがない事実及び証拠上明らかな事実

1  平成一〇年六月、フランスにおいて開催されたワールドカップサッカー大会に日本代表チームが初出場することになったが、旅行業を営む被告の名古屋中央支店は、日本チームの試合観戦を組み込んだ「イタリア周遊の旅九日間・ミラノ&ニースフリータイムとW杯『日本vsアルゼンチン』観戦の旅九日間」(同年六月一二日出発予定)と称する主催旅行を募集した。

(争いがない。)

2  原告両名は、平成一〇年二月九日、被告との間で右主催旅行に参加する旨の契約を締結し(以下「本件旅行契約」という。)、同日、代金各四一万八〇〇〇円(内訳、旅行代金三一万八〇〇〇円とビジネスクラスの追加料金一〇万円)のうち申込金各五万円を支払い、同年五月二七日、残代金各三六万八〇〇〇円を支払った。

(争いがない。)

3  被告を含むワールドカップサッカーフランス大会の旅行を取り扱っていた日本の主要な旅行会社十数社は、同年六月一〇日、共同記者会見を行い、同月九日から一〇日未明にかけて、在仏日系旅行会社八社において情報交換を行った結果、必要な試合の入場券が確保できておらず、今後もその確保が困難であることが判明したとして、この経緯を発表した。

(乙二号証、一三号証の1、2、一六号証)

4  被告は、同月一〇日午後九時ころ、原告らに電話で連絡し、本件旅行契約にかかる前記試合の入場券が確保できないので、右主催旅行を中止する旨を告げ、併せて、右試合の観戦を除いて、他は同じ旅行内容による旅行を新価格(約三〇パーセント減額)の二二万二〇〇〇円で催行するので、原告らがこれに参加するか否かを問い合わせた。

原告らは、翌一一日午前九時半ころ、被告に対し右新価格の旅行に参加する旨の回答をした。

(乙一号証、八号証、一五号証、証人蛭子民男)

5  原告らは、同月一二日、空港で被告から旅行代金の差額各九万六〇〇〇円の返還を受けて、右旅行に出発した。 (争いがない。)

6  原告らは、現地到着後、いわゆるダフ屋から法外な値段で入手する以外には、入場券の入手が事実上不可能な状況にあることから入場券の入手を断念し、現地時間の同月一四日、前記の試合をスクリーンで観戦し、同月一五日朝、フランスのニースから別行動をとって観光等をしたうえ、同月一八日夜、イタリアのミラノで被告の主催旅行に合流して帰国した。

(争いがない。)

二  争点

1  本件旅行契約は合意解除されたか否か

(被告)

本件旅行契約は、前記の経過で試合の入場券の確保が困難な事情が判明したため、被告は、原告ら顧客に対してその事情を説明して右契約にかかる主催旅行を取り止め、併せて被告の新規の主催旅行への参加の意向を問い合せたところ、原告らは、平成一〇年六月一一日、右新規の主催旅行に参加する旨の回答をし(この旅行契約を、以下「新規旅行契約」という。)、その出発当日の同月一二日、本件旅行契約の代金と新規旅行契約の代金の差額各九万六〇〇〇円の返還を受けた。したがって、原告らは、被告との間で本件旅行契約を合意解除した。

(原告ら)

原告らは、被告から入場券の確保が困難である旨の連絡を受けたが、なお入手に務める旨の説明を受けており、本件旅行契約を解除する趣旨の連絡とは受け止めなかった。そし被告の債務不履行責任を訴訟によって追及する旨を明示的に留保したうえ旅行に参加したものである。

2  旅行業約款一六条一項六号所定の解除事由の存否

(被告)

旅行業約款(主催旅行契約の部)一六条一項六号には、被告の「関与し得ない事由」により旅行が不可能となった場合の契約解除が定められているところ、入場券の確保ができなかったことは、被告など一旅行業者限りの問題ではなく、国際サッカー連盟(FIFA)及びフランス大会組織委員会(CFO)の入場券配布及び流通経路の管理に起因する問題であって、社団法人日本旅行業協会(JATA)もCFOに入場券の流通経路、状況の管理責任を問う抗議文を送っており、FIFAやフランス大統領も同趣旨のコメントを発表している。このように入場券が確保できなかったことは被告の「関与し得ない事由」によるものであり、被告は前記のとおり本件旅行契約を取り止める旨の連絡をして、右約款による契約解除を行った。

(原告ら)

ワールドカップサッカーフランス大会の入場券の確保が困難であることは、後記3に記載のとおり事前に予測されていたことであって、被告の「関与し得ない事由」にはあたらない。

3  本件旅行契約の解除について、被告に債務不履行の責に帰すことのできない事由があったと認められるか否か

(被告)

被告は、ヨーロッパ方面の日系ランドオペレーターの最大手で、従来から取引のある旅行代理店株式会社ミキ・ツーリストとの間で入場券の購入契約を締結した。ミキ・ツーリストは、一九九〇年のワールドカップサッカーイタリア大会の日本における総代理店や、一九九一年イギリスで開催されたワールドカップラグビーの日本地区総代理店を務める等、大きな大会の各種手配を遺漏なく完了させてきた実績がある。

被告は、このように信用と実績のあるミキ・ツーリストから入場券入手の確約を得て代金の支払を完了しており、同社に依頼した名古屋発ワールドカップ観戦ツアーの入場券二六七枚の引渡しが平成一〇年五月下旬になる旨連絡を受けてもいたので、入場券の確保ができるものと確信していた。

そして、そのころ被告社員が渡仏したところ、偽造入場券やFIFAの会長選挙のため遅れているなどの情報があり、右会長選挙後、再度入場券の受領に赴いたところ、前記のとおり、入場券の入手ができない情勢となっていることが判明したものである。

被告は、このように信用と実績のある旅行代理店に入場券の入手を依頼して代金を完済し、必要な手配を終え、情勢に応じた対応をしていたのであり、結果として入場券が入手できなかったことは、被告の責に帰すべき事由によるものではない。

(原告ら)

ワールドカップサッカーフランス大会の入場券は、その人気の高さから、一般に入手が困難と予想されていた。また、国際サッカー連盟(FIFA)は、平成一〇年一月一五日、入場券の販売について、公認旅行代理店を通じて一般に販売できるのは一〇パーセントで、一社あたり三〇〇枚である旨の販売割当てを発表していた。被告は、このように初めから入手困難が予想されていた入場券について約五〇〇〇枚(うち日本対アルゼンチン戦は一八〇〇枚)という非現実的な大量発注を行って旅行参加者を募集したが、確保できたのは約六五〇枚とのことである。被告は、闇ルートに頼って入場券の確保を図ったものと考えられ、入場券確保の見込みを誤ったことについて帰責性がある。

4  原告らの損害

(原告ら)

原告らは、それぞれ次の損害と、これに対する履行期後である請求の趣旨拡張申立書送達の日から支払済みまで商事法定利率による遅延損害金の支払を求める。

(一) 本件旅行契約の代金各四一万八〇〇〇円から返金を受けた各九万六〇〇〇円を差し引いた残額各三二万二〇〇〇円

(二) 原告らの経営する歯科医院を九日間休業したことによる逸失利益各四六万五〇〇〇円

(三) 慰謝料各一〇〇万円(原告らは、日本が初参加するワールドカップサッカーフランス大会の観戦に大きな期待を寄せていたところ、被告の債務不履行によって多大の精神的苦痛を被った。被告は大々的に宣伝して本件旅行契約を締結させ、入場券の確保が困難となってからも顧客に情報を開示せず、出発直前まで観戦できる旨説明して顧客らを騙し続け、顧客が熟慮できる時間を与えなかったものであり、原告らの被った精神的苦痛は多大である。)

(被告)

(一) 本件旅行代金の残額各三二万二〇〇〇円は、原告らが被告との間で新規旅行契約を締結して参加した主催旅行の代金(内一〇万円はビジネスクラスの追加料金)に充てられたもので、原告らに右の損害は生じていない。

(二) 原告らは、自らの選択により新規旅行契約にかかる主催旅行に参加したのであり、その間の休業による経済的不利益は、被告が賠償すべきものではない。

(三) 被告は、法的責任はないが、お詫び料の趣旨で、新規旅行契約の代金を本件旅行契約の約三〇パーセント引きに設定し、これに参加しない本件旅行契約の参加者には、お詫び料として五万円を支払う取扱いをした。

第三  判断

一  争点1について

前記「当事者間に争いがない事実及び証拠上明らかな事実」欄記載の各事実と証拠(甲七号証、八号証、乙五号証、六号証の1、2、八号証、証人蛭子民夫、原告ら各本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告担当者は、平成一〇年六月一〇日午後九時ころ、前記のとおり原告方に電話を架け、入場券の確保ができないので、本件旅行契約にかかる旅行を中止する旨、併せて試合観戦を除いて同じ行程の主催旅行を割安の新価格で催行するので、これに参加するかどうかを問い合わせたこと、これに対して、原告松本健は、やや興奮気味に提訴を仄めかす言葉で応対して電話を切ったが、翌一一日午前九時半ころ、被告支店に電話をし、被告の主催旅行に参加する旨を伝えたこと、その際、被告担当者から、右の旅行では試合観戦は含まれないこと、料金は約三割引となり、差額が返還されること等の説明がなされ、現地での入場券入手の見込みについてやり取りがなされたこと、原告らは、同月一二日、名古屋空港で旅行代金の差額各九万六〇〇〇円の返還を受けて旅行に出発したが、原告松本健は、右差額返還の際に提出を求められた乙五号証の同意書(兼領収証)に、返還を受けた金額以上の金銭請求を行わない旨が不動文字で記載された部分を抹消して提出し、損害賠償請求権を留保する意思を明らかにした。

右の経過によってみれば、被告担当者が右一〇日及び一一日に原告らに伝えた内容は、本件旅行契約にかかる主催旅行の中止と、これに代えて試合観戦を除いた新規の旅行(商品名、エア・ヨーロッパチャーター機で行くニース&ミラノフリー九日)を催行することを通知し、右主催旅行に原告らが参加するか否かを問い合わせるというものであって、原告らは、前記一一日の電話で右の主催旅行に参加する旨を伝えてこれに応じたのであるから、これらの経緯によって本件旅行契約は合意解除されるとともに、新規旅行契約が締結されたものと認めることができる。

二  争点3について

ところで、原告松本健は、前記のとおり、本件旅行契約を合意解除するにあたり、被告の債務不履行によって合意解除のやむなきに至ったことによる損害賠償請求権を留保する意向を明らかにしていたことは前記のとおりであり、原告松本久美子も同様であったものと推認されるので、本件旅行契約が合意解除に至ったのは、被告の責に帰することのできない事由によるものか否かについて検討する。

証拠(乙九号証ないし一二号証、一三号証の1、2、一六号証、一七号証、証人蛭子民夫)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、ワールドカップサッカーフランス大会の前記試合の入場券の手配を、ヨーロッパ方面の地上手配業務(入場券、ホテル、列車その他の手配やガイド等)を行う業者であるミキ・ツーリストに依頼したこと、同社は、毎年、被告と地上手配業務の基本契約を締結し、長期間にわたって取引を継続している業者で、前記のワールドカップサッカーイタリア大会その他の大会観戦付き旅行の地上手配業務を遺漏なく行ってきた実績もあるなど、業界でもトップクラスの評価を得ている業者であること、被告は、平成一〇年四月二四日、原告らの分を含む二六七枚の名古屋発の主催旅行分の試合入場券について、手配代金合計九三四万五〇〇〇円(単価三万五〇〇〇円)を振り込んで支払い、ミキ・ツーリストから、入場券の交付は同年五月下旬ころになる旨の連絡を受けていたことが認められる。

しかしながら、証拠(甲二号証、三号証、八号証、原告ら各本人)及び弁論の全趣旨によれば、国際サッカー連盟(FIFA)は、既に平成一〇年一月、入場券の発売について販売の割当て制限を発表しており、公認旅行代理店を通じて一般に販売される入場券は、全体の一〇パーセントで、一公認旅行代理店につき一試合三〇〇枚が限度とされていたこと、ミキ・ツーリストは右の公認旅行代理店ではないこと、一般にもワールドカップサッカーフランス大会の入場券の入手は容易ではないとの観測がなされていた状況があること、被告は、全部で約五〇〇〇枚の入場券の発注をしたが、実際に入手できたのは、その内の約六五〇枚程度に過ぎなかったこと、これらの事実が認められる。

右のとおり、日本代表チームの試合の入場券を多数枚入手することには、相当の困難が伴うことが予想される状況があり、ミキ・ツーリストは前記のとおり公認旅行代理店ではないから(また、被告が入場券の手配を依頼した他の業者の中に、公認旅行代理店が含まれていたことを窺わせる資料はない。)、被告は、これら多数の入場券の手配をミキ・ツーリストに依頼するにあたって、単にミキ・ツーリストが信用と実績のある業者であることに信頼したというのみでは、旅行業者として必要な注意を尽くしたということはできず、同社を通じて入場券を入手できる確実さの度合について、できる限りの確認、調査を行い、それによって得られた入場券入手の確度に応じて試合観戦旅行の企画内容を定め、また、その状況いかんによっては、顧客を募集するに際し、入場券が入手できないことがあり得ることを明示するなど、状況に応じた募集方法を講じる必要があるといわなければならない。

しかるところ、被告が、前記の状況に対応して、入場券入手の確度や、それを巡る事情等に関し、ミキ・ツーリストに対し、どのような確認、調査を行ったのか、その経緯、内容等は本件全証拠によっても明らかにされたとはいえないから(前掲乙一七号証によれば、被告がミキ・ツーリストから受け取った入場券の手配に関する文書中には、入場券の入手は確約されている旨の記述部分があるが、これについて、被告がミキ・ツーリストに対し、前述の入場券を巡る懸念すべき状況を踏まえて、どのような確認、調査を行ったのか、明らかではない。)、被告が、旅行業者として前述の必要な注意を尽くしたと認めることはできない。

そうすると、被告において入場券の確保ができず、そのために本件旅行契約の合意解除の余儀なきに至ったのは、被告の責に帰することのできない事由によるものであるとの立証がなされたとは認められない。

もっとも、前掲各証拠によれば、ワールドカップサッカーフランス大会の観戦旅行が入場券の確保ができないために取り止められた例は、単に被告の主催したものに止まらず、入場券の販売、流通が円滑に行われなかったことがフランスの内外を通じて社会問題として取り上げられていることが認められ、その原因について、国際サッカー連盟(FIFA)やフランス大会組織委員会(CFO)の入場券配布及び流通経路の管理の不手際や、一部ブローカーらの不正行為を指摘する状況が窺われるところである。しかしながら、こうした事情の真相いかんとは別に、顧客を募集して旅行契約を締結し、観戦旅行の催行につき顧客に対して契約上の責任を負う旅行業者としては、前述のとおり、入場券入手に関して事前に懸念すべき状況が窺われたのである以上、手配業者等に対し、これに応じた確認、調査等を行い、その結果に応じた旅行の主催と募集を行うべき注意義務があり、右の注意義務を尽くしたことの立証がなされなければ、被告は旅行業者として債務不履行の責任を免れないのは当然というべきである。(右の理は、争点2記載の旅行業約款一六条一項六号に定める被告の関与し得ない事由が客観的には認められる場合であっても同様である。)

三  争点4について

しかしながら、以下のとおり、本件においては、原告らの主張する損害は、いずれもこれを認めることができない。

即ち、前記争点4(原告ら)欄(一)の旅行代金残額については、新規旅行契約の代金に全額充当されており、残存する損害があるとは考えられず、また、同(二)の歯科医院の休業損害を主張する部分は、原告らの意思で新規旅行契約にかかる主催旅行に参加したことによるものであって、本件旅行契約の合意解除に伴う損害とは認められない。そして、同(三)の慰謝料を主張する部分は、仮にこれを問題とする場合でも、前記のとおり、被告から原告らに対して、お詫び料の趣旨を含めて割安に設定された新規旅行契約の代金と本件旅行契約の代金の差額にあたる各九万六〇〇〇円が返還されているところ、前記のとおり入場券の手配代金が一名あたり三万五〇〇〇円であることや本件旅行契約の総代金額が各四一万八〇〇〇円であること、また、前掲各証拠によれば、本件旅行契約が合意解除される前後の原告ら顧客に対する被告の対応姿勢や説明内容に、相当を欠くものがあったようには窺われず、まずもって誠実な対応がなされたものと認められること、これらの諸事情を総合して勘案してみると、前記のとおり、原告らに対して本件旅行契約に代えて割安の新規旅行契約にかかる旅行が提供され、差額が返還されたことの他に、なお慰謝料の支払を認めるべき余地はないものといわなければならない。

したがって、結局のところ、原告らの本訴請求は、その主張にかかる損害を認めることができないから、いずれも理由がないというべきである。

(裁判官・中村直文)

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